リスクと安全保障


2015.01.08

集団的安全保障 国内消費用の議論の危うさ
/東京大学法学政治学研究科教授 藤原帰一

―― 集団的自衛権の具体的な法律的措置が来年にかけて行われようとしています。しかしどうも日本の安全保障論議はイデオロギーから抜け切れないように感じるのですが、藤原先生はどうお考えですか?

藤原先生

藤原日本の議論の流れで言えば、国内消費用の議論で終始してきたということです。第二次世界大戦のような悲劇を繰り返さないようにするという呼びかけを背景に、日本の平和主義に二つの特徴が生まれました。一つは日本の平和主義が事実上の孤立主義として機能したことです。日本が戦争に関わらないことが平和をもたらすという考え方に基づいているため、戦争は巻き込まれるもので、日本の外にある国際紛争に対しても関わること自体が間違いだという視点になるわけです。二つ目は、この平和主義が国内の政党党派の分かれ目になっているため、その上でイデオロギー的性格が生まれてくることは、これは当然だということになります。

ただ、私は日本で社会主義が影響力を持ったのはごくごく小さな領域だったと思います。結束のポイントになったのは社会主義や共産主義に対する関心ではなくて、平和主義。つまりイデオロギー的ではあるけれども、社会主義と自由主義とかのイデオロギーではないんですよね。簡単に言えば、日本の場合には武器の保有を否定する平和主義という絶対的平和主義が野党中心に支持が集まったということでしょう。

 

この状況には、いくつもの問題点があります。第一の問題点は同盟との関係です。日本はアメリカとの安全保障条約という同盟によって安全を調達するという政策を長らく取ってきました。同盟なので、相手が攻められたら自分が攻められたのと同じようなことだと考え、共同で軍事行動に訴えることが前提になります。同盟である以上、集団的自衛権は含まれていると考えなければいけません。しかし実際には、アメリカを使って日本の安全は保つけれども、アメリカと協力する軍事行動は日本の本土防衛以外では想定しないということでこれまで運用してきました。つまり現実から考えると、自衛隊は米軍とセットで行動することを前提とした軍隊と言えます。その意味で、同盟の中で軍隊を持ちつつ、他方で集団的自衛権を否定するという政策には明らかな矛盾があったと言うことができるだろうと思います。

そして第二の問題点。実はこっちのほうが大きな問題だと思うのですが、世界戦争に発展するわけではないけれど、紛争が繰り返され、不安定な地域が世界中にいくつも存在します。このような地域に対してどのように関わっていくのかという問題です。例えば、自爆テロを繰り返すグループがある地域で権力を握ったとします。かつてのPLO(パレスチナ解放機構)、最近であればイスラム国などがこれにあたるかもしれません。彼らに対しては、「そんなことしたら報復攻撃をするぞ」と牽制しても全く意味がありません。抑止が利かない相手です。この相手を前にして、どのように平和を構築するのか。これは非常に具体的な課題ですが、この領域は必ずしも同盟の問題ではありません。

同盟の義務と政治的な状況判断

藤原同盟の問題は基本的に冷戦期に作られているので、地域紛争の平和構築という課題とは大きなズレがあるわけです。地域紛争には、国連をベースにした平和維持活動のグループが軍事大国を中心として関与しようとしています。この一連の領域が集団的安全保障と呼ばれるもので、具体的な紛争が続いている地域において、紛争をどう止めて、安定した状況を作ることができるかという課題です。この課題に対しても日本の平和主義では答えることはできません。日本が集団的自衛権を認めて安保条約の下での責任を遂行すればいいではないか、では話は終らないんですよね。

前提条件ですが、同盟を結んでいても同盟国と常に軍事行動を共にするということではありません。最近ではイラク戦争でフランス、ドイツが参加しなかったのがその例ですが、ここには各国の政治的な状況判断が働きます。ところが日本ではこれについて、憲法で制約がある集団的自衛権をどのように認めるのかという議論で進められてきたため、「どの範囲の集団的自衛権を認めていいか」という一般論で全部議論しているわけです。この議論の危うさは、集団的自衛権の行使要件に適っている場合には行使しなければいけなくなってしまう点です。

―― そこに政治的判断が入らないことになると?

藤原はい、法律論として議論するとそうなります。もちろん結果的には入るのですが。現在のところ、閣議決定された集団的自衛権は非常に狭い解釈になっています。専門家は誰でも知っていると言って構わないと思うんですが、現在の解釈では実はアメリカから協力を求められても応じられない場合が大半だろうと思います。つまり狭い解釈によって協力しない領域を確保したものになっているのです。にも関わらず、そこが大きな争点となっていない。理由は非常に単純で、簡単に言えば国内政治の問題としてこれを考えていて、まず憲法上の拘束を解き放つことから始めて、次に憲法改正。そして集団的自衛権を全面的に認めて日本が軍を自由にどこでも行使できるようにすること、これが目的になっているからです。

「巻き込まれ」と「置き去り」のリスク

―― 憲法の制約を解き放とうというのが、まず第一にあると?

藤原ええ。ここでの集団的自衛権はもはや同盟の問題ではありません。決めつけるように言ってしまえば、軍事戦略の問題でもなんでもないんです。

また政策論として考えた場合、同盟には常に二つの危険があります。一つは巻き込まれる危険。相手の行動に巻き込まれて、自分の意思に反する軍事行動を取らざるをえなくなるという議論ですね。もう一つは置き去りの危険です。同盟が弱くなることで同盟国が義務を履行してくれない、守ってくれないという危険です。

アメリカとの関係では、政府が置き去りの危険を重視し、野党が巻き込まれの危険を重視してきました。でもこれは間違いで、同盟の当事者双方にこの危険があるわけです。現在の東アジアの状況を見ると、自民党政権に戻ってからアメリカは集団的自衛権の承認を求めてきてはいません。日本から要請があったので、承認されるのは結構なことだという声明をオバマ大統領が発言した程度です。これは異常なことです。伝統的には「アメリカが守ってやってるのに、なんで日本は集団的自衛権を認めないんだ」という非常に強い反発がアメリカ側にあって、ずっと圧力をかけてきました。しかし今はかけていません。なぜかと言えば、アメリカのほうが日本に巻き込まれることを怖がっているからです。

―― 尖閣問題ですね。

藤原はい。東アジアの軍事情勢を見る時、アメリカは中国への抑止力を確保したい一方で、実際の戦闘に関わる意思はまったくありません。しかし、日中で交戦状態が生まれた時には、アメリカは日本の立場に立たざるをえないのです。もしそれをしなければ、アメリカとの同盟なんか何の意味もないと他の同盟国に知らせることになりますからね。しかし日本と一緒に戦ったら、戦いたくない戦争をすることになる。巻き込まれと置き去りのジレンマは同盟につきものですが、現在はアメリカがそれを懸念している状況です。

集団的自衛権を巡る現在の状況はこのようになっています。その上で私自身の立場ですが、米軍との共同行動を想定した軍隊を日本が持っている中で、集団的自衛権を承認することは当然だと私は考えます。同時にそれをどのように発動するかについては、法的にこの範囲を認める、認めないということではなくて、その場その場で適切な政治的判断が行われることが大事だろうと思います。私はイラク戦争に反対だと当時も言いましたし、今でもその立場は変えてません。たしかに独裁政権ですけれども、それを破壊することによって、どれほどひどい不安定が今イラク地域に生まれたのかをご覧になれば、それは改めて申し上げるまでもないでしょう。その判断力が国際関係では一番重要だと思います。

その上で、今の集団的自衛権についての議論は、これまでの平和主義とは正反対で、軍事力の有効性を過信するという危うさを感じています。日本が集団的自衛権を承認したら、中国の行動を抑止できるなんて、私にはとても信じられません。中国から見れば、自衛隊はもともと米軍と一緒に行動する存在でした。日本は平和憲法があるから米軍と一緒に行動しないだろうと中国が考えていたはずがないのです。ですから日本が集団的自衛権を認めようが認めまいが、彼らにとって状況の変化はないと思います。そのあたりで、国際関係を専門にする人間から見れば、かなりの単純化と希望的な観測が日本の議論の中に見られます。その危うさがあるということは申し上げておきたいです。

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