医療改革


2015.06.08

首都圏2030座談会(その2)
互いに助け合う共助の制度を拡充することが必要

首都圏2030座談会出席者(50音順)

飯間敏弘

東京大学大学院教育学研究科特任助教

膳場貴子

キャスター

西内啓

統計家・東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員

森田朗

国立社会保障・人口問題研究所所長

山本一郎

投資家・東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員

司会

藤田正美

フリージャーナリスト・東京大学政策ビジョン研究センター特任研究員

藤田今後急速に進む首都圏の高齢化で介護が大きな負担になり、国や市町村が行う「公助」だけではまかないきれず、コミュニティー内の支え合いや、在宅看護を基本とした医療の体制が必要になってきます。それに合わせて社会制度の改革も必要になります。こうしたコミュニティー重視の必要性から、現在、飯間さんが研究されている「市民後見」の考え方も重要になると思います。

首都圏の独居老人を守るために

飯間私は今、市民後見のプロジェクトをやっています。まず、「市民後見」について簡単に説明しますと、認知症などで判断能力が不十分になった人は、本人で財産管理ができなくなりますから、そうした人に対して家庭裁判所が後見の人を選任し、その選任された人がその人に代わって財産管理などすることです。

これまでは親族や専門職の弁護士や司法書士などが、この後見をやってきたのですが、だんだん難しくなっています。そもそも専門職は数が限られていますし、後見はお金にならないので専門職はやりたがらない。後見人の絶対数が足りなくなってきています。こうした状況を背景にコミュニティー内の市民に後見の役割を期待する、という考え方です。

つまり、市民後見というのは、親族でもないし専門職でもないけど、地域で他の人が困っている、自分も年取ったらそうなるかもしれないということで助けるということです。コミュニティーの助け合いの精神でやっていこうということですね。

私は、この市民後見をこれからの日本の社会を支える、社会思想・社会運動の一つとして位置づけています。理念に基づいてやろうということです。地域で困っている人がいたら、市民から自発的に「私が助けます、しかし代わりに私が困っているとき誰か他の地域の人が助けてくださいね」ということが期待できる社会を、今後20年から30年かけて作っていかないといけないのではないでしょうか。

藤田私たち団塊の世代では、恐ろしいことですが多数の人がしだいに認知症になってきます。認知症で本人が財産管理をできないというのは、もう身近な問題です。「オレオレ詐欺」とか「振り込め詐欺」だとかこれだけ言われてもこうした詐欺被害が減るどころか増えている。それは認知症予備軍が増えているという証しでもあると思うのです。

首都圏に増えるそうした人たちを守っていかなくてならない。特に独居老人はコミュニティーが市民後見にならないといけないということですね。

孤独死を社会・コミュニティーが管理する

山本後見制度への注目は興味深いことです。もともと成年後見制度というのは、資産がある人の資産管理から始まったものなんですが、これからの高齢者は過剰な期待に応えられるほど資産を持っていないし、資産がどの程度あるのかもきちんと分からない。それなりに貧富の差もあって、「持てない老人」は負担のしようもないのが現実です。それどころか、人が亡くなって遺されるのは資産ばかりではなく負債もあります。その整理を一人一人するには相当な時間がかかります。今の法的制度のままそれを弁護士がやるとなると、とんでもない手数になって結局、誰が面倒を見るのかはっきりしなくなる。ここが決められないままだと、誰にも頼れない高齢者が孤独死する世界になりますし、孤独死に伴って不動産のいわく付き物件も激増するでしょう。

こうした状況を見ていると、これからの後見で重要なのは資産の管理だけではなく、言い方は悪いのですが、人の死に方も管理しないといけないということです。独居老人などで認知症などが深刻化してくると、専門の施設に移ってもらうしかないという状況にもなりますが、その決断を誰がするのかという問題です。

藤田現在は成年後見制度の拡充という考え方ですが、市民後見はもっと枠を広げていかないといけないのでしょうね。

正常な判断ができなくなった高齢者の対処

藤田こんな実例を聞いたことがあります。ある独居老人ですが、中年のころまでは自宅で暮らしていました。しかし家族の事業資金のために自宅を売って借家に住むようになったのです。ところが認知症が始まって、自分が住んでいる家は自分の資産だと思いこんでいるといいます。その勘違いによるトラブルも多くて、こうした人にどう対応したらいいのか周囲はとても悩んでいるというのです。

山本賃貸物件を自分の資産だと思い込んでいる認知症の方はたくさんいます。人間誰しも忘れるものだし、認知症などで的確な判断ができなくなることがあります。これは仕方のないことです。今の法制度では、的確な判断ができそうにない人の証言も正当だと扱えることがあります。

森田「本人同意を得た」と言っても、子どもならまだしも、認知症の高齢者の同意を取るというのはどういうことかという問題になりますね。簡単に本人同意は取れるかもしれませんが、意味がないでしょう。

山本高齢者の自動車免許なども似ていますね。高速道路を逆走するといった事故も増えてきています。

膳場たしか75歳以上になると、免許更新のときに、正常に運転できるか、記憶力と判断力のテストがありますね。そうしたやり方でなんとか対応できないんでしょうか。

森田ある程度対応はできても、無理矢理、自動車免許を取り上げることができるかというと難しいです。別の対応も検討すべきかもしれません。北欧だと飲酒運転を無くすため、アルコールが検出されると動かない自動車とかあるそうです。今後は、運転免許の不携帯を防止するために、運転免許証を挿入しないとエンジンがかからない自動車や、運転手を認識して75歳以上だと、認められている場合を除いて、エンジンがかからない自動車を開発する必要があるかもしれません。それでも問題は残ります。実は、高齢者の免許を取り上げると急速に老化します。運転が生きがいだったりすることもあるんですね。

藤田認知症やその予備軍の人を、社会がどう判断するかということは多岐にわたりますね。

死者が増える社会の制度作り

藤田市民後見を含め、地域コミュニティーを支える仕事の対価がまったく見合わない、という問題はどうでしょう。

山本経済のつくりを変える必要もあるでしょう。例えば、市民後見の制度によって地域で共助していくことが理想でも、その前に、市民に負担を強いるもので、実現するのにすごい労働力が発生するようでは、誰もやりません。

森田市民後見は哲学だという話がありました。元来は財産管理の仕組みが、現在では生活監護、自分で生活が管理できなくなった人に対して代わりの人が管理すること、になってくるにつれ、悪い人がこの代理人にならないような仕組み作りも重要です。

こうした問題に対して、方向性は賛成だけど具体的にはどうしたらいいか。簡単に答えが得られるとは思いません。それでも問題提起はどんどんしていかないと間に合わないでしょう。

今年あたりは亡くなる人が130万人くらいですが、今後、多いときは170万人くらいになります。今後、死ぬ場所がないという問題も起きてくるでしょう。病院はもう満杯です。自分が死ぬ場所がないかもしれないというのは不安ですね。

すでに、死者の数が増えて、焼き場、火葬場の稼働率を上げても間に合わないという状況も起きています。不謹慎な話かもしれませんが、やがて葬式の日も予約しておかないといけない時代が来るでしょうか。

膳場自分が死ぬ日を予約する?

森田予約というのは冗談ですが、死ぬ日ではなく、火葬にする日のことです。しかし、死んでからの予約になると火葬場が間に合わないということになります。そこで遺体をお預かりする冷蔵会社という新しいビジネスも出て来ます。

膳場それも首都圏が抱える社会全体の問題ですね。

「現状の問題を共有してもらいたい」

藤田膳場さんはメディアの現役でおられるかたですが、そのへん、これからの社会のシナリオの描きかたについて、メディアの役割はどう思いますか?

膳場私が今担当しているのはデイリーのニュースなので、社会のシナリオを描く以前に、その日の動きをお伝えするのがメインになってきます。

そうはいっても、私たちが直面している中長期スパンの問題も伝えなければ、という意識はあるので、問題提起をするような企画をシリーズで展開したりもしています。

多くの人に低いハードルで見ていただくメディアとしては、まずは、今起きている問題をミクロとマクロの視点で取材し、現状の何がマズいのか広く共有してもらおう、というのが当面の役割です。

報道をきっかけに、考えていってもらえたらいいな、という感じです。

藤田そうした日々の出来事のなかで、これは高齢化社会の傾向かな、と思うことはありますか。

膳場あります。ポジティブなところでは、たとえばスポーツ選手などで、活躍し続けられる年齢が以前よりずっと上がってきています。スポーツ科学や医学の進歩のたまものであると同時に、社会全体が高齢化した結果として、いい歳なんだから現役引退したら?という空気が減ったのでしょうね。

ネガティブなところでは、さっきおっしゃった、高齢ドライバーの問題や、介護施設不足の問題。それが、認知症と組み合わさったり、貧困と組み合わさったり、詐欺事件と組み合わさったりして、いろんなニュースとして表に出てきています。

本来なら、その一つ一つを解きほぐして、原因となっている問題に光を当ててお伝えしたいところですが、デイリーのニュースですと、マンパワー的にも放送時間的にも、そこまではなかなかできないのが現状です。

あと、現在のメディアで思うのですが、見ていて気持ちがいいものを見せる傾向があるのではという気がします。「日本はすばらしいじゃないか」という番組が増えていますよね。実際にはこれだけ課題が山積しているのだから、ある意味、世の中の不安の裏返しなんでしょう。でも、メディアはどうしても心地よいものを望まれる。目を背けていたいことや、簡単に解決できなこと、ガマンや痛みを引き受けないといけない事象について、もっと腰を据えて伝えていかないといけないなとは思っています。

山本両極端もありますね。口当たりがいいか、逆に危機を煽るとか。どっちかという感じで。ただ、危機を煽ってもそこでおしまいになってしまう。また、この問題は「より良い政策を選ぶ」というよりは、「解決できない問題を受け入れる」という、非常に後ろ向きで痛みのある話ばかりのため、こうすれば現状が改善するという主張をしたがる政策議論には向かないのです。

興味本位でどっちかに向かって行くのではなく、基準になる考え方が広く社会で共有できるとよいと思います。今の制度ではここがだめで、新しくこういう制度をつくるとかですね。市民後見を含め、地域的な共助の制度的な仕組みはこうですよと。そういうこれからの社会の青写真というか便覧というか、共有できる知識として普及しておくと、未来への備えになるかと思います。

藤田そうした見取り図を社会に提出することが、この『首都圏2030』の使命の一つでもありますね。どうもありがとうございました。(その2終わり)

首都圏2030座談会 <2回シリーズ>

<1/2> 首都圏2030座談会(その1)
<2/2> 首都圏2030座談会(その2)

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